湯殿山奥の院に参拝した。古来、奥の院には「聞くことなかれ、言うことなかれ」の教えがあるため、奥の院のことはあまり書かない。しかしながら、神道や仏教が勢力争いをして現在のような姿になっても、奥の院には拝殿すらなく湯の流れる赤っぽい自然の岩そのものをご神体とする自然崇拝そのものだという点で、縄文的な香りが馥郁と漂っている。この岩を、はだしになって流れ落ちる熱いお湯を感じながら参拝しているとき、チャクラがピリピリしてきた。
なるほど、ここは古い時代からの聖地なのだ。
意味深長な松尾芭蕉の俳諧、
「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」
のほのかなエロスの含意もすっと腑に落ちるものだ。
さて、出羽三山信仰の特異性を語るものとして、湯殿山界隈の即身仏に対する信仰がある。
江戸時代初期以降、湯殿山の一世行人の中には「即身仏」になることを志す修行者が多く現れた。湯殿山系の即身仏は、だがしかし、エジプトに見られるような死後の人工的な内臓摘出などの処置によるミイラ制作とは根本的に異なる。
密教の教理によれば、修行を究めることで行者は肉身のままで仏になるという「即身成仏」の観念がある。即身仏は断食、飢餓によって自らの命を絶つことを目的とする点で、密教とその根本である仏教とは似て非なる信仰だといってよいだろう。いや、即身仏信仰は密教とも仏教とも隔絶している。
そもそも仏教ではゴータマ・シッダールタ(釈迦)の御遺骨を「仏舎利」として尊崇の対象とすることはあっても、死体全体をミイラ化させて、それを尊崇するようなことは断じてしない。実際にインドを自転車で走った時に見たバナラシのガンジス河では、焼け残った死体の灰あるいは半焼けの死体はたんに「ゴミ扱い」されていてガンジス川に流されいるのを見て驚愕したものだ。
魂がぬけた「それ」はたんなるゴミだ。
でもここでは、「それ」はホトケ様だ。これはもう、仏教教義だけでは説明がつかない。即身仏を信仰の対象とするのは、仏教やその有力な派生である密教とはまったく異質ななにかが介在してるはずだ。
そこを深く考えた人がいる。おそらくは不老不死の呪力を体得することを目指す道教の神仙道に伝えられてきた煉丹(れんたん)術に淵源する技術が日本に渡来し、真言密教勢力が当地に伝搬させたものだろう(内藤, 2007)という見方は説得力がある。内藤によると、高野山は水銀の一大産地であり、湯殿山あたりに湧き出る水にも多くの水銀が含まれるという。腐敗防止作用があるという水銀も即身仏に一役買っていると内藤は示唆しているが、先日惜しくも亡くなった松岡正剛と内藤正敏が共著している「古代金属国家論」も読みたいものだ。
生前から五穀断ち、十穀断ちの過酷な行、瞑想修行を含む密教系の修行を積み重ね、自らの罪を除くととも、飢餓や悪病に苦しむ衆生を救済し、今風に衆生のウェルビーイングを増進することに一身を捧げ「土中断食死」(内藤, 1999)することを自身の意思によって選びとった道であった。
断食を認知力を上げたり健康を増進するための一環としてこの10年くらい細々とやっている。その一環として成田山で断食参篭をしたことがある。同じ断食だが、世俗的な健康法としての断食と、即身仏になるための土中断食死との間は書斎と月との間ほどの距離がある。
五穀断ち、十穀断ちをして、断食死を目指す一世行人は、どんぐり・くり・くるみ・とちの実を食べ徐々に心身を清明にするという。これらの森の恵みは、飢餓食であると同時に、実は縄文人が炭水化物を摂取するために常食していたものだとうことに、もっと注意してよいだろう。
縄文食に還り土中断食死を遂げ、死後腐敗から逃れ、土中から取り出され尊崇の対象となる。人々は畏敬の念をもって尊崇する。それが即身仏だ。
元来亜熱帯を中心に分布するコメ栽培は、冷涼な地域で主食にするには無理がある。つまりコメを主食化させコメを補完、分配さえコメの石高で経済を回す社会経済システムは、天候の環境変化に対して脆弱なシステムだ。
そのようなコメの共有が極度に不足したときに、飢餓に陥る人間が飢餓食として、そして断食食として回帰するのが、縄文食としての木の実、木の皮だということは、ある意味、コミュニティにとっても個人にとっても究極の食の危機に際しての先祖返りだ。
さて、日本に現存する24体の即身仏のうち、6体つまり25パーセントが山形県庄内地方の一部に集中している。この意味での即身仏が、集中的かつ選択的に数多く出現した山は、全国でも湯殿山のほかにはない。これらのうち、17は以下の通りだ。
1弘智 新潟県長岡市寺泊野積西生寺66貞治2年(1363)
2弾誓京都市左京区大原古知平町 阿弥陀寺63慶長18年(1613)
3本明海 山形県鶴岡市東岩本内野本明寺61天和3年(1683)
4宥貞 福島県浅川町小貫宿ノ内貫秀寺92天和3年(1683)
7心宗行順 長野県阿南町新野瑞光院50貞享4年?(1687)
9秀快 新潟県柏崎市西長鳥甲真珠院62安永9年(1780)
10真如海 山形県鶴岡市大網入道大日坊96天明3年(1783)
11妙心 岐阜県揖斐川町谷汲神原横蔵寺36文化14年(1817)
12円明海 山形県酒田市日吉町海向寺55文政5年(1822)
13鉄門海 山形県鶴岡市大網中台注連寺62文政12年(1829)
15明海 山形県米沢市簗沢小中沢個人蔵44文久3年(1863)
16鉄竜海 山形県鶴岡市砂田町南岳寺62明治14年(1881)
今回、神妙に護身法を切ってから直接対峙させていただいたいのは、真言宗智山派の寺院南岳寺の鉄竜海上人。言葉を失った。有難いことに直系の子孫にあたる現住職の奥様がいろいろと説明してくださり、かの老女との対話でかろうじて言葉が戻ってきた感があった。
老女曰く、「生前の鉄竜海上人が江戸にいったとき、眼病で苦しむおおくの人を見た。それらの衆生を救済するために自らの左目を手でくりぬき龍神に捧げ隅田川に投げた」という。鉄竜海上人をまじまじと見れば、たしかに左目あたりの肉がそげて陥没している。
平安時代の初期即身仏の増賀、唯範、願西、セン覚、琳賢などは、すべて当時の中国肉身仏と同じく高僧ばかりであった。後世の江戸時代、湯殿山の即身仏が、殆んど下層階級であるとのまったく対照的である(内藤,1999)。付言すれば、武士を殺害した者、家や土地を捨てて漂白し当地に流れ着いた者など下層階級からも外れたアウトサイダーも多数含まれていたが、伝承の記録などで明らかになっている。
天災、飢饉、重税に苦しむ民衆に対して、衆生済度の道≒人々のウェルビーイングを目指す道を突き進んだのが即身仏だ。
生前の彼らは一世行人と呼ばれ、各地を遍歴しながら物心両面での庶民への救済に励み、 強い信頼を勝ち得ていた。ただし修験道組織のなかでの位置づけは、むしろ最下層の宗教者と見なされていた。けれど彼らが入定したあとも人々は入定塚を建立し、篤い信仰を寄せたのである。しかも彼ら即身仏への信仰は、即身仏が所在する近辺だけに限られること なく、江戸のあたりまで名声は及んでいた。
現代のウェルビーイングの概念と即身仏信仰とはまったくもって異なるもののように思える。ここは、今回のフィールドワークは死生観からウェルビーイングをとらえてみるこということだ。いくつか共通点があるように思える。
1. 精神的な自己超越
即身仏は、厳しい修行を通じて肉体を極限まで追い込んだすえに捨て、精神的な存在として仏と一体化することを目指す。これは、現世の苦しみや煩悩を超越し、悟りに至るための究極の自己犠牲だろう。即身仏になるための修行は、精神的な浄化と内的な変容を伴うものであり、自己の限界を突破することだ。
即身仏の射程のごく一部であるが、精神的な自己超越や自己変容、つまり今までの自分ではなくなにか別の自分になろうとすることは、現代のウェルビーイングにおいても重要な要素だ。マインドフルネスや瞑想の実践が内面的な平和と幸福を追求する手段として評価されるように、即身仏の修行に本格的に参入する前段階の修行もまた、内的な充実感や精神的な成熟を目指す点でウェルビーイングに通じるものがある。
2. 死生観と後世への永続的な影響
即身仏は、死後も永続する存在として崇拝され、後世の人々に精神的な支えや導きを与えるとされている。つまり個人の存在が社会全体に対して永続的な影響を及ぼすこととなる。このような死生観は、現世での生き方や価値観にも大きく影響を与える。南岳寺のお堂で、鉄龍海上人に対峙してインパクトを受けない人はいないはずだ。
現代のウェルビーイングにおいても、死生観は重要な要素。個人の人生の意味や目的を見つけることが、心の平穏や満足感を高める手助けとなる。即身仏の実践は、人生の終わりを迎える準備を整えることで、現在の生き方をより意義深いものにするという点で「それ」に対峙する者が生き方、死に方に想いを馳せざると得ない。
3. 地域コミュニティへの影響
即身仏は、人々に対する霊的な影響力を持ち、庄内平野、山形、天童など月山周辺の地域社会において崇拝の対象となっている。いや、周辺地域のみならず全国から参拝者が音連れていることをみると、その影響は全国に及んでいる。これは、個人が他者や社会全体に与える影響について深く考えることを促すのではないか。即身仏になることは、個人の存在が永続的にコミュニティに影響をあたえる方法と捉えることができる。
他者との関わりや社会的な貢献は、ウェルビーイングの重要な要素だ。即身仏の実践は、個人が自己を超えた目的のために生きるという点で、現代の社会的なウェルビーイングの考え方に共鳴する部分がすくなからずあるように思える。
即身仏の教えは、現代のウェルビーイングの概念と直接的に結びついているわけではない。ただしポジティブ・サイコロジー、ウェルビーイング、マインドフルネスといったお馴染みのヨコモジ、カタカナ概念だけで幸福や健康に関する議論するのは、いささか多層的で豊穣な日本の歴史や文化と接続されることなく表層的なものとなってしまう。
即身仏ミイラ信仰とウェルビ-イングには精神的な自己超越や社会的な影響、死生観に関する考え方において、共通する要素が見られる。いや、現在さかんに言われるウェルビーイグが射程に収めきれていない、あるいは収めることを怠っている次元がそこには立ち顕れている。これらの点から、即身仏にもまた、奥深いところで広義のウェルビーイングに通じるものがあり、いや、それらを突き抜けている善き存在を目指す次元があるということを再認識したのであった。
内藤正敏(1999). 日本のミイラ信仰. 東京. 法蔵館
水谷仁 (2003) .即身仏とその背景. 東京. 講談社.
末木文美士 (2015) . 日本の死生観:仏教とウェルビーイング.東京: 岩波書店.
森浩一 (1997) .日本宗教の世界. 京都: 淡交社.
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