「夫子の道は忠恕のみ」のシステム科学

論語(里仁第四)に曰く、夫子の道は忠恕のみと(里仁第四15)。

いはやはこの処世訓、人口に膾炙して久しいどころか、時代を越えて論語の一大中心命題を占めている。「忠」とは心の真ん中を貫くまごろころや意識の底にあるもの、あるいはなんの虚飾もない生命体としての情動の根幹(ポジティブ・快かネガティブ・不快か、覚醒しているか、非覚醒なのか)。

恕」とは、自分のまわりのいろいろなモノコトへ心を配ること、おもいやりといってもよいだろう。敷衍して、環境や周囲の人間との良好なやりとり、絆、関係性。

つまり、忠とは主体性の根幹であり、恕とは関係性の基底を成している。

さて、システム科学では、主体性(entity)とは、個別の ノード、個、人、モノ、コトでもある。関係性(relations)とは、リンク、繋がり、やりとりのことだ。

さらに敷衍すると、世のなか ってのは、主体性と関係性が、複雑に相互依存的にからみあってゴチャゴチャしたものだ。 ゴチャゴチャしすぎていて、つかみようのない魑魅魍魎が跳梁跋扈する摩訶不思議なものなので、ここではすっきりと、


世のなか=(主体、関係)

ちなみに、夫子(長者・賢者・先生などの尊称。特に、孔子を指す)ではない凡夫が世のなかをわたってゆく道は、シノギである。だから、

世をシノぐ=(俺さま、しがらみ)

世をシノぐとは、臆面もなく「俺さま」をど真ん中に置いて、味方、敵、友、客、仲間、利用価値のある人々、ない人々、親愛なる家族、その他大勢、法律、社会のきまりごと、規範、ルール、地球環境・・・などメンドーで複雑なしがらみに折り合いをつけて、ゼニ勘定の帳尻を合わせつつ、世を渡ってゆく渡世の術である。

・・・とも言えるし、多少気取って、

キャリアデザイン=(主体性、関係性)

とも表現できる。つまり、キャリアデザインとは、主体性をもって人生の要所要所で職業生活に関する選択、意思決定をして、利害関係者と良好な関係性を構築、維持して、キャリアをデザインしてゆきましょうという命題だ。その命題のもと、主体性と関係性が交わる場に欲求役割、能力が形づくられる。いずれもキャリアの中心的なテーマだ。

いずれにせよ、論語にみえる「夫子の道は忠恕のみ」は、じつにシステム科学の視点から見ても整合的なのである。こんなキャリア理論があってもよいだろうね。

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