自転車仲間執筆の「インドを走る!」再読、友とはいいものだ

左がビデオ記録、右が立派に書籍化された「インドを走る!」

インドとネパールを一緒に走った旧友(フンケーの友)が書いた旅の記録をパラパラと再読。いやいや、何度読んでも面白い手記だ。同じサイクリングクラブOB親友のマムラ師がビデオを編集し、書籍化してくれた。その出版記念にと、彼の貴重な紙面に「あとがき」を書いた。次のようなたわいもない雑文である。

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夢から醒めると

この自転車の旅は過酷かつ強烈だった。赤茶色のヒンドスタン平原は果てしなく広く、ヒマラヤの白銀に輝く山々は目が眩むほど高かった。毎日が異文化との遭遇、格闘の連続であり、よくも3人で力を合わせて激烈な状況のなかを走ったものだ。とはいえ、この手記に登場する「M君」こと俺は、自転車ツーリングに情熱を傾け、インド人の群衆にもまれながらも、どこかお調子者で、マラリアに罹患して死に目に会うような危機にも直面しつつも、旅の節々でバカな真似をよくする、好奇心に満ち満ちて、冒険好きでアウトゴーイングな青年だったようだ。

実は、この自転車冒険旅行が契機となり、世界放浪者として、大学を卒業したら世界中を放浪しまくる、という人生に火がついてしまったのだ。世界中を旅して、やりたいことをオモシロ・オカシクやり、できれば、そこからカネもゲットできればなおいい。

ということで、インドとネパールで異文化遭遇の醍醐味を味わってしまった俺は、つぎにアメリカに潜り込み、コーネル大学という大学に留学した。ここでも、インドとネパールで涵養した首尾一貫力、異文化理解・潜入能力、状況対処能力のおかげでオモシロ・オカシクもサバイブできた。アメリカ放浪を終えた後は産業社会を知的に放浪することにして、アメリカ系コンサルティング会社で仕事をした。その後、結婚して家庭を持ったり、起業したりして、やりたいことをオモシロ・オカシクやらせてもらっている。博士号も得て、大学で教授として研究や教育を、これまたオモシロ・オカシクやっている。まぁ、これらの軌跡の起点・原点がインド・ネパールの自転車旅だったというわけだ。

・・・・以上は儚い夢だったのである。ヒンドスタン平原のど真ん中の小さな村のボロ屋に泊めてもらった明け方にこんな夢を見たのだ。夢から醒めると、なんと、そこはまだインドだったのである。俺は、実に勝手気ままな夢を見たのだ。そんな夢の話を望ノ萬蔵とE藤にすると、ふたりにこともなげに笑い飛ばされた。

「おいおい、そんな夢じゃなく、俺らの現実を見ようぜ。今日は暗くなる前に100キロは走ろうぜ」

「そうだな。午前中は俺が先頭を走るぜ。今日も一日、走ろうぜ」

果たせるかな、「オモシロ・オカシク」は夢のなかのたわいもない幻想で、過酷かつ強烈な自転車の旅は果てしなく続くのであった。夢から醒めると、そこはまだインドだったのである。

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今でもインドを自転車で走っていたころの夢をみることがある。ある意味、幻想的な良い夢でもあり、夢想的な苦しい悪夢でもある。現実とインドの記憶の倒錯。どちらもリアルであり、かつバーチャルだ。相互浸潤する異界越境の旅ははやりインドとネパールを走った自転車から始まったのか。このような記録を残してくれた友人には感謝の言葉しかない。友とはいいものだ。

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