潮岬灯台から波御崎神社の手前を左に曲って5分ほどやせ尾根を歩くと、鯨山見(くじらやまみ)という突端に着く。鯨山見とは、回遊してくる鯨を見張るための場所だ。滔々と黒潮が流れる潮岬は明るい。角度がある陽光もさることながら、あたりの植生に照葉樹が圧倒的に多いことも情景の明るさに寄与している。
多少脚色して「伊勢神宮と那智熊野大社を参拝し、それらの鎮守の森の霊気を稟けたまま潮岬にたどり着き、振り返れば紀伊半島沿岸の森々すべてが鎮守の森のようだった」とでも言いたくもなる。
たしかに地を這うようにクルマで東海道を西へ西へと走り、渥美半島をへて、船で伊勢湾を渡り紀伊半島に着くころには、植生はずいぶん変化する。関東に多かった杉などの針葉植物が減り落葉広葉樹や常緑広葉樹が増える。そのせいかこのあたりでは花粉の影響がまったくでない。
今回の旅では、神社仏閣とそれらに残されている神話をナラティブ・システムとして俯瞰的に見ているのだが、鎮守の森という神社に関係する環境システムの多くには落葉広葉樹や常緑広葉樹が生い茂っている。
さて、鎮守の森とは、神社の本殿や拝殿、参道や神域などを囲むように繁茂する森だ。本来は神域のみならず、神社周囲の全地域を含む。
昨今、「鎮守の森」が注目されているのは、神域や周囲の鎮守の森に現代社会で次々と失われつつある「古来の地域植生」が残されているとの見方が強くなっていることが背景にある。 郷土史家のネイチャーガイド氏に「那智の滝周辺の木々、森はみなカミサマ。土地の人々が代々手つかずの古来の植生を守ってきました」とでも言われれば予備知識のない観光客はさも「ご納得!」ということになるだろう。
日本では、西日本から東日本太平洋岸にかけて多くが暖帯域に入る。それにつれて降水量も据える。そうした地域では、カシやシイ、クスノキ 等の照葉樹林が潜在自然植生だ。そして必然的に、鎮守の森には照葉樹林が繁茂することが多くなる。
つまり「鎮守の森=照葉樹林=潜在自然植生」というメンタルモデル(疑われない暗黙の了解)が生まれのではなかろうか。つまり、鎮守の森は昔から神聖な場として人の立ち入りが制限されてきた。その植生に人為が直接的に及ばなかったために、今も昔ながらのふるさとの木々つまり照葉樹林が残っているものだ、と。
このメンタルモデルに沿って宮脇(2008)が言うように「鎮守の森の周辺には、寺院や神社用の建材として、あるいは地域の象徴としてスギ、ヒノキ、マツが植えられ、老大木が今でも残されているところも多い。日光や箱根の杉並み木などは、その典型である。しかしおおむねはその土地の潜在自然植生、すなわち土地本来のふるさとの木によるふるさとの森が残されている」と捉えることができるのかもしれない。
このような見方に異をとなえるのが畔上(2015)だ。彼によると、大正—昭和期にかけて国は国家的神社の「林宛の本義」として環境政策を展開していた。その環境政策には3本の柱がある。すなわち、①元来神社境内の樹木はその郷土木を以って構成すること。②郷土木とは種が落ちて実生へその土地の自然林の一員として生育為する樹木であるべきこと。③神社の境内はその土地そのものが神ながらであって、古来の自然態をそのまま保続することに尊さが存する。
つまり、大正—昭和期の政府は、土地本来の樹木=ふるさとの木である「潜在自然植生」を盛んに政策展開していて、これを全国の神社にまで拡げていたのである。「鎮守の森」の植生は古来より連綿と自然にまかせて維持されてきたと断定することはいささか事実誤認であり、意外にも昭和という新しい時代に入ってから、しかも人為的に国の環境政策として推し進められた結果、現在の形になっているということになる。
鎮守の森は、純然としたその土地固有のネーチャーというよりは、人為の管理があってはじめて維持され、姿を現わすものである。ユニセフのSDGsに関する宣言は「あらゆる種類の森林の、持続可能な形の管理をすすめ、森林の減少をくいとめる。また、おとろえてしまった森林を回復させ、世界全体で植林を大きく増やす」と言っている。
よく見れば、潮岬の突端の先の岩場では釣り人が海の幸を得るために荒々しい潮のなかで糸を垂れている。豊かな森があって、豊かな海になる。海と森は循環している。「持続可能な形の管理」があってはじめて鎮守の森が姿をとどめるととらえれば、あながち鎮守の森、潮岬でSDGsを考えてみることは突飛なことではないだろう。
はたして、神社をランドスケープ・センターとする鎮守の森はネーチャー(自然)とアーティファクト(人造物)が織りなすすぐれて管理的で環境循環的なシステムでもある。
参考文献:宮脇昭(2008)鎮守の森. 新潮文庫. p61-62
藤田大誠、青井哲人、畔上直樹、今泉宜子(2015). 明治神宮以前・以後 :近代神社をめぐる環境形成の構造転換.鹿島出版会.
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