世界のソトとウチ

上のマップで言うと、伝統的な経営学やマネジメント論は、左側のアプローチが中心。一般性、因果律、効率、根拠、論理といったものが重視される。サイエンスの体裁をとろうとするほど、経営学やマネジメント論は、むろん、このアプローチが中心になってくる。

でも、ちょっと食い足りない。

そこで、外界(outer world)から内界(inner world)へと拡張してみる。

どうやら、世界の潮流を眺めていると、人と組織の行動に関係するリーダーシップ論やケアサービス論は、内界(inner world)へ向かっているようだ。そこでは、左側ではほとんど語られなかった、精神、特殊性、共時性、意味、物語、情念が織りなす特殊な世界が本質的に重要になってくる。

いろいろな分野のリーダーは、それぞれ個別の意味世界に棲息しているので、右側の特殊な世界とは切り離せない。緩和ケアをはじめとする看護サービスなどのhuman serviceでも、ヒトの内面、内界にたいする精神的ケア、支援、エンパワーメントが含まれる。

なので、ネタを明かすと、人的資源管理論、組織行動論、アントレプレナーシップ論、ヒューマンサービス論などでは、越境を促すために下の2冊をグループワークや副読本として使っている。

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シンクロニシティは意味のある偶然とでもいってよいだろう。通常の因果律では因果関係が見いだせない事象における関係性を説明する考え方なので、シンクロニシティは「共時性」ともユング派の研究者によって訳されている。この分野の著作では、デイヴィッド・ピート『シンクロニシティ』が秀逸だ。

複数の出来事が原因→結果というようなシーケンシャルな因果関係を飛び越えて、意味的関連を惹起して同時に起きることである。だからシンクロニシティを「共起性」といってもあながち誤訳ではないだろう。しかし、こと学問の作法でシンクロニシティを実証的、客観的に説明することは難しい。

なぜなら、出来事、偶然、非・超因果、意味、同時、共起、主観を内包するシンクロニシティには、必然的にランダムネス(雑然性)やタービュランス(乱流性)やストレンジネス(奇妙性)やコンプレクシティ(複雑性)がつきもので、このようなことがらは実はサイエンスの枠組みでまだきちんと説明がなされていないからだ。

果たして運は能力なのか、能力が及ぶ範囲の外にあるまったくの別物なのか?

運は能力の一部門であるという考え方がある。そのひとつの発現としてセレンディピティ(serendipity)という言葉は「偶然幸運に出会う能力」を意味する。

シンクロニシティ(synchronicity)も共時、共起、偶然に積極的にかかわる自覚的能力を予兆するものである。

偶然幸運に出会う能力は、能動的に環境にはたらきかける操作の範疇ではなく、環境から自分への働きかけ、メッセージ、予感を感じ取る受動的な領域に属する。

とすると、セレンディピティはシンクロニシティを用意周到に活用する自覚的readinessとでもいうような意識の力を含意する。

この本は、シンクロニシティをリーダーシップの重要な要素として、自伝的な文脈で前向きに議論している。リーダーシップという視点からシンクロニシティを真っ正面から議論した論者はなく、そこにこの本の新鮮味がある。

伝統的=本流的な理論、モデルを説明した「行動科学の展開」に対するアンチテーゼのような本。シンクロニシティは、実は現在サイエンスの鬼門のような位相にある。因果関係でなかなか説明できない現象だからだ。

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