2022年も年の瀬。ベンチャー企業の経営していたころの仲間が高田馬場で集まってワイワイ飲んだ。人生は意思決定や決断の連続だ。重い意思決定、軽い意思決定、その後の人生に大きな影響を及ぼすものもあれば、さほどインパクトを及ぼさない意思決定もある。大学で研究者稼業をはじめてからは、重い決断にはあまり縁がなく、起業家の野生の意思決定や決断から遠ざかってきたことを、雑談をしながらハタと気がついた。
さて、意思決定や決断には、重厚長大、軽薄短小があり実に幅が広い。ではいったい俺は、どんな意思決定をしてきたのだろうか。今晩の晩飯をなににするかとか、日曜日にどこに行って遊ぶのか、といった軽薄短小な意思決定は無数にあるだろう。では、リスクが複雑で、失敗する確率もそこそこ高く、その後の人生の展開に甚大な影響を及ぼした重厚長大に属する意思決定や決断には、どんなものがあったろうか。少なくとも3つあっただろう。
①インド・ネパール自転車ツーリング
学部3年から4年にかけて半年弱、サイクリングクラブの仲間と3人パーティーを組んで、デリーからカトマンズまで約2000km自転車ツーリングをした。日本人サイクリストにとって前人未踏の難ルートだった。ヒンドスタン大平原をデリーから南下してタージマハールのある街アグラまで行く。そして方向を東に向けて、茫漠無限たるヒンドスタン大平原の核心部分をひたすら疾走する。そして北に進路を向けて、インドとネパールの国境を越え、ネパールの山岳地帯の幾多の峠を越えて、ポカラを突く。いやはや自転車大冒険だ。そして、再び東に向けて峡谷地帯を走りカトマンズになだれ込む。カトマンズでパーティを解散してから、体制を立て直して、山歩きの装備に変え、エベレスト街道を登り、5千6百メートルのカラ・パタールというピークまで達するというものだった。このエクスペディションでは、マラリアに罹り死に目にあった。友人は一時走行不能となった。
全体計画を決断したのはその後の人生においてインパクトが大きかったが。その道程には、軽薄短小な意思決定も無数にあった。道々をどう走るか。どこで泊まるのか。どんな飯を食らうのか。病気の対策など、非常に細かい意思決定の連続だった。
②アメリカ留学
インドとネパールの自転車ツーリングの余勢で、20代の後半にはアメリカに放浪的留学に行った。日本でくすぶっていても埒が明かず、留学という知的放浪、漂白の旅にわが身を置きたかったのだ。アイビーリーグのコーネル大学は難関ということもあり、学位取得までかなりの労力を要した。学位をとれるかどうか、修了後の収入がどうなるのか?そんなことは、あまり気にせずエイヤと勢いにまかせて海を渡り、アメリカに行ってしまった。
どのような科目を選択するのか。学位論文のテーマはどうするのか。といった小さな意思決定もあれば、学内のどこに自分の居場所を確立するのか、インターンでどこに行くのか(実際、フィンランドに行った)という決断の連続だった。米国コンサル会社にいくつかレジュメを送り、何社からかオファーがあった。その後の職業生活、キャリアの選択という決断、そしてそれらは報酬などに甚大な影響があったので、コーネルに行ったことは、紛れもなく重厚長大な決断だった。
③起業家としてベンチャー創業・エグジット
コンサルで働きながら副業だけで1000万円たまった。なので、当時早稲田大学ビジネススクールの起業コースに参加して起業・創業のノウハウ、つまり事業の計画方法と事業展開の作業方法を勉強してからベンチャー企業を立ち上げた。その会社、「人と組織の知恵をケアする」ということを理念とした。書斎で研究したことを副業化して、レバレッジとして得た1千万円を資本金とした。10年突っ走って結果を出す。だらだら経営しない。新規株式公開か合併買収でイグジットすることを目標とした。資本金だけで3億円投資家からゲットした。失敗して倒産したら素寒貧。儲かればでかい。でもそんなのやってみなければわからない。
リーマンショックでズタズタに日本経済が傷つき、日本中の企業がアタフタした前の年に、俺の会社を買いたいという奇特な上場企業が現れ、1株残らず売却して、少なからぬキャピタルゲイン(会社売却益)をゲットした。でも後続の経営陣は、経営がヘタクソで、残念ながらこの会社は消えてなくなった。人生万事塞翁が馬か。会社設立から成長フェーズ、売却フェーズまで、人、モノ、カネ、情報に関する重厚長大な決断の連続だった。経営とは重い決断の連鎖である。
***
サラリーマンや大学研究職だけはなく、スペシャリスト(外資系経営コンサルタント)、クリエーター(起業家)としても仕事をやってきた。よって、20~30代のころからデカくて複雑な意思決定・決断をやってきた。というか、やらざるを得なかった。これらの意思決定・決断履歴は、それなりに重かったので、今後の意思決定は、これらの重さを越えることはそうそうないだろう。人生の半分を折り返して、余生が短くなっていることもあり、人生トータルに対するインパクトは上記の3つの大きな意思決定にくらべれば、限定的なものなのだろう。
だからと言って、「人生100年」時代において、後半戦のキャリア戦略はほぼほぼ未開の研究テーマでもあるので、自身を実験台に乗せる試みはエキサイティングなものだ。元役員で今は大学教授として活躍している畏友曰く、経営学の教授をやりながら、有限責任事業組合(Limited Liability Partnership)を設立して、コンサルティングや講演で顧客とギグ(gig)している。こやつ、東京と長野の優雅な2拠点生活で、好きなことだけをやっている知恵者であり、BOBOS(ブルジョワ・ボヘミアン)だ。なるほど、自己表現としてのアントレプレナーシップだ。かれは、フリーエージェントのスピリットを、かように生活のなかに息づかせているのだ。ピンとくるね。
仲間と集って語らうと、いろいろなことに気づかされるものだ。
コメント