蟄居謹慎、臥薪嘗胆?!

<昨年、セントキャサリンズの公園にて学生諸君と>

コロナ災厄でこの数カ月、講演、研究会、学会、プロジェクト・ミーティングなど、すべてキャンセルか延期である。昨年度の最後の講演会は1月の末だったので、2月、3月、そして4月に予定されているものも全滅である。大学の授業は5月の連休明けからだ。

先週予定されていた自治医科大学での講義も中止。6月に予定されていた愛知県看護協会の講演も中止となった。カナダの共同研究者を招いて開催するはずだった看護経済・政策学会の国際セミナーも残念ながら中止の憂き目に。毎年、7月~8月には学生を連れてカナダのブロック大学短期留学で滞在しているのだが、その予定もキャンセル。7月の末には北海道で集中講義が予定されているが、どうだろうか。

当地でカナダの共同研究者と会って、いろいろといっしょに論文を書いたり、グラントをとったりと知的な楽しさも満載なのだが、いたしかたない。カナダも状況は厳しく、渡航禁止となっている。安全確保のためには、やむを得ない。

それやこれやで、授業以外に外部で話すことの重要性を痛感している。耳が肥えているヘルスケアの専門職、実務家の方々を対象にして講義や講演をするのは、刃物と砥石のようなものだ。

話をする方の、問題解決力の切れ味、ソリューションの効き度合いは、聴衆という砥石によって研磨されることによって鍛えられ、増してゆく。砥石に接して鋼を磨いていないとだんだんと刃先が鈍麻してくるのは必定だろう。通算500回を超えている講演活動だが、今年の数字はあまり伸びないだろう。

コロナ禍による、蟄居謹慎、臥薪嘗胆ということか。

したがって、話すほうの言語活動としての講演ができない分は、書く方の言語活動、つまり、執筆活動に持って行き動的均衡を保つ、ということになるか。今年は単行本2冊、論文数本を書く予定だが、災い転じて吉となす、ということをかろうじて目論むが、どうなることやら。

講演がないというのは一抹もニ抹も、寂しさを感じるものだ。

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