職業としての学問の「街頭」


マックス・ヴェーバーは、「職業としての学問」のなかで、意味深長なことを書いている。

「教壇に立つ者は学者の立場を濫用して持論を展開したり、政策を披露するべきではない」そうした学者たちはメディアや新聞など「教室の外へ出て…好きなところでそうするがいい」(p.60)と喝破している。大学とは学問を研鑽し、研究し養育する場であり、教員が自らの偏狭な経験、指針、あるいは世界観を提供する場ではない、と言うのだ。

ヴェーバーは手厳しく「そのようなものは、街頭に立って説け」とまで言い放つのだ。

学者が学術論文や専門書といったメディアを通して公開する知見は、「職業としての学問」の範囲を逸脱することはできない。いや、方法論、信頼性、妥当性などの学問の規準に厳格かつ適性にそったものであるべきだろう。ヴェーバーその延長線上に「講義」もそうあるべきだと言っているのだ。

だがしかし。

ヴェーバーの時代とは異なり、現在の社会科学、とくに保健・医療・福祉分野の政策分析を主題とする言説は、抜き差しがたく、持論の展開やある種の俯瞰的なピクチャないしは世界観を提示しなければ、説得力が伴い、社会的にインパクトがある言説にはなりえないのだ。

さて、このような言説をどのような場で公開したらよいのか。

ヴェーバーの時代にはなかったもの。現代の、経験、指針、あるいは世界観にかかわる言説を公開する「街頭」のひとつとしてウェブがある。

ウェブはウェブでも泡沫のようなブログや発言者不明の掲示板ではいけない。職業としての学問から得られる、世界観の披瀝は、それなりのウェブ系メディアが、いささか世俗的だが現実的な「街頭」だろう。

そんなこんなで、「ケアシフト:シルバーイノベーション最前線」の連載は、「職業としての学問」の「街頭」のようなもだ。あと1回で連載が終わる。なんとなくほっとしている。

 

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