もみじ

八ヶ岳の麓で紅葉狩りを楽しんできた。

古典文学の時代から連綿と続く和歌の世界で、いにしえ人は花鳥風月の美しさ、はかなさを和歌に詠み込み、時代を越えて愛でてきた。桜ほどではないが、紅葉を詠んだ和歌も多い。


さて、和歌を詠むことは、平安時代・鎌倉時代の上流階級、知識階級に属する人々にとっては必須の教養。いや、教養を通り越して、世界認識、世界表現の編集技法だった。だから、世界認識、世界表現の一大事業として、国家事業として和歌集が天皇の命によって編纂されてきた。天皇の勅、つまり、命令によって編纂された和歌集を勅撰和歌集という。


『新古今和歌集』秋上・363 ・『二見浦百首』秋などに見える、

見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ


は、あまりにも有名。

平安時代末期、鎌倉時代初期を代表する歌人の藤原定家が詠んだ。

およそ、索漠とした秋の砂浜の風景。そこには朽ちかけたプアな小屋が一軒ひっそりと立っているだけ。そこには、 「花も紅葉も なかりけり」、だ。茫漠たる風景の向こうを見渡して、いったんは完全否定した花や紅葉の実在を首肯して敢えて「見る」のである。するとどうだろう、じっさいの花や紅葉を直接見るよりも、はるかにありありとそのイメージを際立たせて脳裏に去来させることができるのだ。

定家には、このような否定の向こうにある肯定、あるいは、実在しないものを、あえて真逆の風景の中に見出そうとする、そんな、認知心理学的な否定のメタ認知とでも呼ぶべき歌風が脈々と気づいているかのようだ。ないものを在ると観じて、文字に託し、読む人の意識の奥底にそこはかとなく実在させる。すると紅葉が在る風景が出現するのだ。

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