ここ数ヶ月で、昔インドとネパールを自転車で共に駆け抜けた古い友人たちと2回立て続けに会って、大いに語り合った。一回目は共に走ったメンバーの家で、二回目は、尊敬する先輩が新築した豪華ログハウスでド宴会二連発。二回目は泊りがけという力の入りよう。
その旅の記録を8mmフィルムにとっておいたものをなんと34年ぶりに共通の親友Mがデジタル化してくれて、仲間でその映像を見ながら当時の話をしていると、否が応でも杯は進み話は盛り上がるのだ。
この自転車による冒険の言いだしっぺは、ほかならぬ自分自身だった。
ではどうして、ヒンドスタン平原のデリーからネパールのカトマンズへというルートにしたのか?
実は1冊の書物がその発端だった。色川大吉著「ユーラシア大陸思索行」(1973年刊)である。
高校時代に読んで膝を打った「文明の生態史観」が底流にあったとはいえ、「ユーラシア大陸思索行」のインパクトは少なくなかったのだ。当時の心象を振り返り、なにがしかの近未来へのインプリケーションを得るために読み返してみた。
・風塵よ、これがアジアだ。(p128)
・アメリカを介在させずに、いきなり日本を西洋やアジアと対比させる議論は今の日本には適当でない。(p154)
・戦後20余年、日本はアメリカの亜流文明の中にあった。外から現象的にだけ見る限り、日本がアジアの国だとは到底信じがたい。(p156)
・天皇島への自己嫌悪・・・あの小さな島国、奇妙な天皇島での人間と人間の甘え、人間と自然とのなれなれしい内縁関係、そして、その人と人との間にある感情過多に、自己嫌悪をもよおす。(p202)
・遠く日本中世の吟遊詩人から、近くは江戸時代の漂民や巡礼や世間師などにいたるまでの、放浪の伝統をわが国は持っている。私は国際放浪者のことをその歴史との照応の中で考えている。なぜなら、日本のような島国の均質な一系性社会は、こうした人間群を媒介にしないでは、みずからを相対化する思想方法を獲得するこはできないであろうから。(p208)
・なにはともあれ、日本の若者たちよ、海外(そと)に出よう。そして、無辺の荒野のなかに魂をさらそう。(p286)
このような左翼人士的な主張もあいまって、この本のインドの描写がとても印象的だったのだ。しかし、欧州からインドまでの長距離はとてもじゃないが、数ヶ月で自転車で走破できる距離ではない。
この本には、「グローバル人材」などという昨今流通されている特殊用語はもちろん登場しない。その代わりに、著者が万感の思いを込めて多用する言葉が自己否定的で、土俗の底を自力で移動する「国際放浪者」だ。
(Mの編集:ヒンドスタン平原の北限あたりの国境近く、ヒマラヤの前衛がすぐそこ)
よっしゃ、自転車に乗った国際放浪者になろうと20歳をちょっと過ぎた青年は決心してしまった、無謀にも。
そして、色川大吉がもっとも深い共感を感じえて、かつ、欧州からインドまでの地域を日本民衆史、日本思想史とい補助線に引いて俯瞰しえた、その結論の地、インドから走ってみようというアイディアを得たのだ。そして、インド・ネパール自転車ドサまわり隊は全3人のメンバーを得て実行に移された。
その数年後、アメリカに留学に旅立つ自分がいた。留学という名前の国際放浪である。著者色川大吉はプリンストン大学の客員教授を経て、この大自動車旅行に旅立った。自分は、この本を契機にして敢行した自転車旅行のあと、同じアイビーリーグのコーネル大学へと。このあたりの系譜も振り返ってみるとなにか面白い。
一冊の本、しかも、多感な20代の頃に触れる一冊というものは、その後の人生軌道にも大きな影響を与えるものである。1970年代当時の時代の香りが濃厚に行間に漂いながらも、今も脈々と継承されている「国際放浪者」なる系譜を伝える一冊だ。
若者のみならず、バカ者、ヨソ者、タワケ者たらんと念ずるヒト、自分をイノベートしたいと画策するヒトにぜひ一読をおすすめしたい。
コメント