自営型人材&起業家精神カテゴリー


浜松から帰ってきたその晩、ベンチャー企業を経営していた頃の仲の良い4人仲間(我社を卒後、3人は大学教授、1人は中小企業診断士として活躍中)が都内某所に集まってわっと忘年会をやった。共通の話題は人材開発、組織開発、ウェルビーイングなど。

事前にシェアされたネタ、浜田正幸(2023). 自己表現としての起業家精神 . 多摩大学研究紀要・経営情報研究No.27.  2023.というペーパーの話題で盛り上がった。

このペーパー、過去の著名起業家のスタイルをレビューしたうえで、今日主流になりつつある起業スタイルを以下のように論述している。

彼女らの起業は、これまで見てきた起業とは全く異なっている。世のため人のためでもなく、不の解消でもなく、イノベーションでもなく、フロネシスでもなく、不屈で果敢な挑戦でもない。自分の強みを活かし、やり残したことをチョコっとビジネスとしてやっている。仕事を与えられてやるつまりやらされるのではなく、自分がやりたいことや好きなことを仕事にする(浜田, 2023)」

さらに、自分ゴトなので積極的かつ自律的に深く取り組めることが特徴だという。

そのような仕事は他人事ではなく、100% 自分事だ。仕事に対するオーナーシップがある。当然ワークエンゲージメントは高い。定年もない。やろうと思えば 80 歳を超えても収入がある。そして何より重要なことは、年金以外のお金が入るだけではなく、ビジネスをやることで人とのつながりができることだ(浜田, 2023)」

社会の一員であるということが実感できる。自分が人の役に立っているという生きている実感が得られる。自分が興味関心あること、自分が関わりたいこと、自分の現在の想いや意見、それらをビジネスとして周りの人たちに、さらに社会に発信・提供していく。すなわち自己表現としての起業である(浜田, 2023)」

さて昨今、人事界隈では「日本の伝統的なメンバーシップ型から欧米式のジョブ型へ」という勇ましいというか間の抜けた素朴な話をよく聞く。

日本式のメンバーシップ型か、欧米式のジョブ型かという単純な図式は危なっかしい。イマジネーションがないね。そこで、同志社大学の太田 肇(2023)は、この安直な二項図式に「自営型」というコンセプトを割り込ませて気の利いた議論をしている。

それは、雇用かフリーランスか、言い換えれば組織に属しているか否かにかかわらず、半ば自営業のようにある程度まとまった仕事を一人でこなす「自営型」と呼ぶべき働き方である(太田, 2023)という。

自営型IT技術者、自営型エンジニア、自営型ユーチューバー、自営型コンサルタント、自営型編集者、自営型研究者・・・。雇用されていようと、自立していようと、こういう人たちはみなクリエ―ティブに仕事をやっていてオモシロイ。つまらないのは、企業、行政、大学組織にぶら下がって、トキトーに仕事を流しているようなゆでがえるのような輩だ。とくに大学に所属しているだけで、クリエーティブな研究をやっていないゆでがえる大学教員はひどい。

低専門性、低自律性に甘んじている人達は、

・ゆでがえるサバイバー(年功序列のぬるま湯人事のなかで生きている化石)

・ぶら下がりディレッタント(組織に寄生する貢献度なしの好事家)

・オワコン人済(過去に体得した知識やスキルが使えない時代遅れのもう済んでしまった人)

逆に、エッジの効いた高に専門性、自由闊達な高い自律性を持つ事業性個人は、

・エキスパート・アチーバー(差別化が効いた専門スキルで高業績を達成)

・スキルマイスター(ダントツのスキルとリーダーシップをもつ人材)

・プロ・アントレプレナー(顧客を創造して外部からキャピタルを引っ張りこめる起業家)

いずれにせよ、「自己表現としての起業家精神」の適応範囲は「自営型」のコンセプトを掛け合わせると、わりと広いんじゃないか。雇用されているサラリーマン、労働市場のすみっこでチョコっと副業をかじる人、半自立しているギグワーカー、雇用されている技術者、エンジニア、独立フリーランス、自営業者、研究者など、自営型人材を起業家精神を支える専門性の高低、自律性の高低で表してみたのが上の図だ。

ついでに書けば、低専門性、低自律性に甘んじている人達に必要なものが指示命令型のリーダーシップ。エキスパート・アチーバー、スキルマイスター、プロ・アントレプレナーなど、高い専門性と高い自律性に依拠して活動している自営型・自律分散人材にマッチするリーダーシップがコラボレーティブ・リーダーシップなのだろうね。

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